東京地方裁判所八王子支部 昭和61年(ワ)1978号
原告
柴田秀雄
右訴訟代理人弁護士
後藤昌次郎
同
小野幸治
被告
立川バス株式会社
右代表者代表取締役
入野正彦
右訴訟代理人弁護士
横山唯志
同
佐藤英二
主文
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対し昭和六一年八月七日付でなした譴責処分は無効であることを確認する。
2 被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一一月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
4 2、3項につき仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四九年四月二五日被告に入社し、以来被告国立営業所においてバス運転手として勤務している。
2 被告は、肩書地に本社を置き、旅客自動車運送事業等を営む株式会社である。
3 被告は、昭和六一年八月七日付で、原告を、就業規則第五三条第四号(「重要な経歴資格を詐ったとき」)によって譴責処分に付した。
そして、同年九月二〇日発行の「立川バス社報」の「賞罰の欄」にその旨を掲載し、社内の本社及び各営業所等に配付して同社従業員に、原告に対する右処分を周知させた。
4 被告が原告に対してなした右譴責処分の具体的理由は、原告が被告に入社するにあたり、訴外東京急行電鉄株式会社(以下「東急電鉄」という。)、同東日本観光バス株式会社(以下「東日本観光バス」という。)及び同関東バス株式会社(以下「関東バス」という。)の各社に就職した職歴を履歴書に記載せず、前記就業規則条文の「重要な経歴を詐った。」に該当するから、ということにある。
5 しかし、以下に述べる理由から、本件譴責処分は無効である。
(一) 被告は、経歴詐称を問題にするのであるが、そもそも、入社希望者にそれまでの職歴を明らかにさせる実質的理由は、会社が採用しようと考えている人物の職種(本件でいえば、バス運転手)に関する技能や、労働力の評価、人格的判断をするための資料を得るところにある。
後記(五)でも述べるとおり、原告の職歴秘匿によっても被告は原告のバス運転手としての技能や労働力の評価等を誤ってはいないのであるから、原告が「重要な経歴を詐った」ことにはならず、本件譴責処分は無効である。
(二) 就業規則違反
被告の就業規則第五三条には、「重要な経歴資格を詐ったとき」は、懲戒解雇か、情状によって出勤停止、減給処分もしくは格下げの懲戒処分とすると定めているが、譴責処分はここではあげられていない。従って、本件処分は就業規則上の根拠を欠き、無効である。
(三) 手続的問題点
被告の就業規則第五一条には、「懲戒は、賞罰委員会の議を経て行う。従業員には賞罰委員会において弁明の機会が与えられる。」との規定がある。
しかるに、被告及び賞罰委員会は、原告の経歴詐称につき事情聴取を行うとして、昭和五八年七月二七日以来同年一〇月六日までの間に原告の出頭を求め、原告が出頭すると、懲戒処分の容疑事実を十分に明示することなく、原告に対し自白ないし自認を求めたのであり、「賞罰委員会における弁明の機会」を実質的に付与したものとはいいがたく、本件処分は、手続的に無効である。
(四) 懲戒権濫用の主張(一)
被告が原告に対しことさら「経歴詐称」を理由に本件懲戒処分を課す真意は、原告が訴外伊藤八蔵の被告に対する懲戒解雇処分無効確認等請求事件(東京地方裁判所八王子支部昭和五六年(ワ)第一一七号事件 同事件は、勤続二九年に及ぶにもかかわらず、懲戒解雇処分を受け退職金を支給されなかった右伊藤がその処分を争って提訴したものであった。)において、右伊藤を支援したことに対する報復にある。すなわち、本件処分は、懲戒処分の本来の目的とは異なる目的でなされたいわば処分のための処分というべきものであり、懲戒権の濫用であるから無効である。
(五) 懲戒権濫用の主張(二)
原告は、昭和四九年四月二五日に被告に入社して以来、被告国立営業所において、本件処分まで一二年有余にわたりバス運転手として、なんら不都合なく勤務してきた。被告に入社後、原告にバス運転手としての仕事に適性を欠く事実はないし、その仕事にふさわしくない非行や不都合は全くなかった。それどころか、原告は、その勤務状態が良好ということで、毎年のように「無事故運転をなし遂げたことは常に安全運転に心掛け職務に責任を持ち、技術を磨き日夜努力を重ねた賜物でその功績は多大であります。」として、被告より表彰を受けてきた。また、被告に入社後、原告は、バス乗務により道路交通法違反で反則金や罰金を課せられたことは一度もなく、運転免許の行政処分を受けたこともない。
このように、原告は被告入社後の長年にわたる勤務において、バス運転手としての資質・技能には全く問題がなく、また、被告の職場秩序を乱す行為もなく、被告の生産能率を阻害した事実もないのであるから、仮に原告が入社に際して過去の職歴を一部隠していたとしても、結果的には、そのために被告が原告の能力等を評価して原告を採用したことは誤っていなかったということができるのである。
このような原告の被告社内での実績を無視して、一二年以上も前の一部の就職歴の秘匿のみをとらえて懲戒処分に付する必要性は存在しないといわなければならない。また、一二年以上も前の事実を「経歴詐称」と称して懲戒処分に問責することは、例えば、懲戒罰より重大な違法性を必要とする刑事罰においてでさえ、懲役一〇年以上の破廉恥犯すら七年で公訴時効となることと対比しても、違法であり、無効といわなければならない。
原告が東急電鉄及び東日本観光バスについて就職した経歴を明らかにしなかった理由は、原告は右両会社から通常解雇されたのであるが、右各解雇を争って地位保全仮処分申請をしたところ、東急電鉄とは裁判上、東日本観光とは裁判外で、いずれも和解が成立し、それぞれについて対外的に公表しないよう、原告が両会社と約束したからである。また、関東バスについては、勤務期間も短かく実質的に就職勤務したとはいえなかったので、記載しなかったにすぎない。
そもそも、このような、自己の就職を不可能としかねない経歴を述べなければならないことを、被告は信頼関係ないし信義則として強要できるのか疑問である。
以上からすれば、かかる事情を考慮しないでなされた本件処分は、あまりに形式的であり、これを許すことは原告に対して酷に過ぎるので、懲戒権の濫用であり、違法、無効であるといわなければならない。
6 被告の損害賠償責任
(一) 被告は、原告に対し、以上のような違法無効な譴責処分をなし、加えて、前述のとおり、被告発行の「立川バス社報」に原告に対する右処分を掲載して社内の本社及び各営業所に配付し、同社従業員に周知させた。これにより、原告は多大な精神的苦痛を被った。
(二) さらに被告は、昭和五八年八月九日以降同六一年八月七日までの三年間、七回に及んだ原告に関する賞罰審査委員会において、原告を懲戒処分、就中懲戒解雇に付することを要求し続けてきたものであり、原告はこの間、懲戒処分の脅威にさらされ続けてきたのである。それによる原告の精神的苦痛も多大なものであった。このため、原告はその間、持病の気管支喘息が悪化し、再三安静加療を要する状態となり、会社を欠勤せざるをえない状態に追い込まれている。
(三) 以上の原告の精神的苦痛に対する慰謝料額は少なくとも金二〇〇万円を下らない。
7 よって、原告は、本件譴責処分が無効であることの確認を求めるとともに、被告に対し、民法七一〇条、七〇九条の損害賠償請求権にもとづき、金二〇〇万円及びこれに対する本件不法行為の後であり、かつ本件訴状送達の日の翌日である昭和六一年一一月二三日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし4は認める。
2 同5(一)についての被告の認否及び反論
原告の主張については争う。
(一) 原告は、昭和四九年四月二五日、被告に入社したが、その際に原告が被告に提出した履歴書の職歴欄には次のとおり記載があった。
<1> 昭和三二年一〇月まで本籍地にて農業に従事
<2> 昭和三二年一一月 函館市松風町、協立運送株式会社入社
昭和三七年一月 家事都合により同社退社
<3> 昭和三七年一月 東京都府中市本町、坂本組入社
昭和四二年八月 会社解散により退社
<4> 昭和四二年八月より運搬業自営
<5> 昭和四七年五月 府中市日新町、有限会社松村組入社、現在に至る
原告は、昭和四九年四月二五日付で、被告に右履歴書の記載事項に相違なく、これの違背に関してはいかように処分を受けても異議ない旨の誓約書を被告に提出した。
被告は、原告提出の右履歴書の職歴欄記載事項を真実なものと信頼して原告採用を決定し、原告は被告に入社したものである。
(二) 昭和五八年ころ、被告において、原告の経歴を調査したところ、原告提出の履歴書には次のような重要な前歴が故意に記載されていないことが判明した。
<1> 原告は、昭和三九年八月一日付で、東急電鉄に乗合バス運転手として入社したが、昭和四二年三月一一日付をもって、乗車券を不正使用したこと、バス路線の一部の運行を欠落したこと、私用金銭を所持してバスに乗車したこと、キーをつけたままバスを現場に放置したことの理由によって同社を解雇された。
原告は、これを不服として同社を相手取り、東京地方裁判所に、従業員地位保全、賃金支払いを求める仮処分申請(昭和四二年(ヨ)第二二四一号事件)をなし、昭和四四年四月三〇日裁判上の和解が成立して解雇が確定した。
<2> 原告は右裁判係属中の昭和四四年三月三一日付で、東急電鉄を解雇された事実を秘して東日本観光バスにバス運転手として入社したが、昭和四六年五月二九日付をもって、会社構内で他の従業員に対して暴行をはたらいたこと、会社より営業用として支給を受けたバス用ピラミッドマットを故なく私用に流用したこと、飲酒の上車両を運転したことの理由によって解雇された。
原告は、右解雇を不服として、東京地方裁判所に地位保全、賃金支払いを求める仮処分を申請し、昭和四八年九月一〇日に右申請に対して、原告敗訴の判決を受け、東京高等裁判所に控訴したが、控訴を取り下げて、解雇が確定した。
<3> 原告は、昭和四四年三月二四日より同年四月二三日までの間、関東バスにも在籍した。
(三) 被告は、旅客自動車運送事業等を行う会社であり、従業員の採用には、その公共的事業の性質にかんがみ、従業員としての適確性を全人格的に評価して採用を決定して雇い入れてきているものである。かかる立場からは、従前就職していた会社から、不正行為等を理由として解雇処分を受けた前歴は、人事管理上看過できない重大な問題である。従って、右のような職歴の秘匿は当然、就業規則第五三条四号の「重要な経歴資格を詐ったとき」に該当する。
3 同五(二)についての被告の認否及び反論
就業規則の規定については認める。その余の主張については争う。
賞罰審査委員会は、就業規則の適用については、諸般の事情を考慮して弾力的に運用している。たとえば規則上、懲戒処分に該当する違反事実があっても、事案の性質や情状を考慮して「注意」に止めることを認めている。
本件では、経歴詐称について規則で定める最も軽い懲戒処分たる「減給」より更に軽い「譴責」処分を付したが、重く処分することには問題があろうが、諸般の事情により、原告に有利な取扱をしたのであるから、違法、無効の問題は生じない。
4 同5(三)についての被告の認否及び反論
就業規則の規定の存在については認め、その余の事実については否認する。
(一) 被告の懲戒手続は、就業規則、賞罰審査委員会規則によって、会社側選出委員四名、労働組合側選出委員四名をもって組織される賞罰審査委員会で審議され、その議決を経て行うことになっている。
(二) 原告に対する、本件処分手続は、被告において昭和五八年七月二七日原告から経歴詐称についての事情聴取が行われ、経歴詐称の事実が確認された。
次いで、同年八月九日、被告の賞罰審査委員会に原告の経歴詐称を理由に、同人に対する懲戒案件が付託された。
右委員会は、同年八月九日より昭和六一年八月七日までの間に七回にわたって原告の経歴詐称を審議し、その間、昭和五八年九月一〇日の第二回委員会、同年一〇月六日の第三回委員会に、原告の出席を求め、原告はこれに応じて出席し、審査委員会より経歴詐称に関する事実の調査を受けるとともに、経歴詐称に対する弁明の機会が与えられた。
賞罰審査委員会は、審議の結果、昭和六一年八月七日の第七回委員会において、譴責処分が相当と議決し、被告にその旨通知した。
(三) 被告は、賞罰審査委員会の右議決を受けて同日付けで原告を譴責処分に付し、従来の例にならい、立川バス社報にその旨を掲載したものである。
(四) 以上のとおり、本件譴責処分手続には何らの違法もない。
5 同5(四)についての被告の認否及び反論
訴外伊藤八蔵の裁判が係属した事業及び原告がそれを支援した事実は認めるが、その余の事実については否認し、主張は争う。
右訴訟は、訴外伊藤が、乗客のバス料金を横領したことで被告から懲戒解雇されたことに対して、同訴外人から提起されたものであるが、原告は、かかる訴訟を、個人で支援活動するという異例の行動に出て、しかも、「この裁判は会社が負ける」旨の誹謗をしたり、訴外滝総務部長(当時)の証言について侮辱的排(ママ)判をした。かかる状況から、当時の人事管理担当者であった右滝総務部長は、原告の人格を知る必要性を覚え、原告の経歴を調査することに至ったものである。その結果、原告の経歴詐称が発覚したが、本件処分は、伊藤裁判支援に対する報復としてなされたものではない。
6 同5(五)についての被告の認否及び反論
原告が毎年、無事故運転を理由として被告から表彰されていること、原告が被告入社以来一度も、バス乗務中に、道路交通法違反で処分を受けたことがないことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
経歴詐称の事実が長年にわたって秘匿されていた事実をもって懲戒処分に付することが仮に違法であるということであれば、それは企業の立場を全く無視し、従業員のみを保護する結果となって、懲戒処分の規則は空文となり、従業員の間に規範意識が薄れることが懸念され、遂には職場の秩序維持に困難を生ずるおそれがある。
7 同6についての被告の認否
(一)のうち、被告が原告に対し、譴責処分をなし、「立川バス」社報に右処分があったことを掲載して社内の本社及び各営業所に配付したことは認めるが、その余の事実は否認する。
(二)のうち、原告主張のとおり賞罰審査委員会が開かれ、その席上で会社側委員が原告を懲戒処分に付するよう意見を述べたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三)は争う。
三 被告の主張に対する原告の認否
1 請求原因に対する認否2の主張について
(一) 同(一)の事実は、「被告は・・・採用を決定し」の事実は不知、その余は認める。
(二) 同(二)について
冒頭事実は、履歴書に、<1>、<2>、<3>を記載していないことは認める。
<1>については、原告が昭和三九年八月一日付で東急電鉄に入社ことは認め、解雇の内容となった事実及び解雇が確定した事実は否認し、その余は認める。
<2>については、原告が昭和四四年三月三一日付で東日本観光バスに入社したこと、同社が原告を解雇したこと、解雇が確定したことは認め、その余は否認する。原告が控訴を取下げたのは、裁判外で和解が成立したからである。
<3>は認める。但し、関東バスに採用されたが、通勤の便が悪いため、その後まもなく東日本観光バスに入社したものである。
2 同4の主張について
(一) 同(一)は認める。
(二) 同(二)について
(1) 「原告に対する」から「確認された」までの部分は、原告が被告から昭和五八年七月二七日に本社に呼び出され出頭したことは認めるが、その余は否認する。
(2) 「次いで」から「付託された」までの事実は不知。
(3) 「右委員会は」で始まる文は、「審議し」までの事実は不知、「その間」から「出席し」までの事実は認め、その余は否認する。
(4) 「賞罰委員会」で始まる文は不知。
(三) 同(三)は、被告が昭和六一年八月七日付で原告を譴責処分に付し、立川バス社報にその旨を掲載した事実は認め、その余は不知。
第三証拠(略)
理由
一 請求原因1ないし4の事実については、当事者間に争いがない。
二 請求原因5について検討する。
1 前第一項の争いのない事実、成立に争いのない全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は前掲各証拠に対比してにわかに措信することができない。
(1) 昭和四九年四月ころ、被告は、バス運転手に欠員が生じたのでそれを募集する広告を読売新聞に掲載したところ、原告が応募してきた。
(2) 被告は原告採否を決定するにあたって、原告から、履歴書、身上調書、直前の勤務先の退職証明、運転免許の確認調べ、従前の経験車両に関する書類及び「今般貴社に採用となりました上は、就業規則その他諸規則を遵守します。又履歴書及び身上調書記載事項に就いては相違ありません。右違背に関しては、如何様の処分を受けるも毛頭異議は無く、之がため生ずる一切の責任は私並びに保証人に於いて履行いたします。」との記載があり、原告及び保証人二人の署名押印のある誓約書を提出させ、原告に対し、面接試験、実技試験、性格検査を行った。
(3) 原告が提出した履歴書の職歴欄には、
昭和三二年一〇月まで、本籍地にて農業に就事
昭和三二年一一月 函館市松風町協立運送株式会社
昭和三七年一月 家事の都合により同社を退社
昭和三七年一月 東京都府中市本町坂本組入社
昭和四二年八月 会社解散により同社を退社
昭和四二年八月より運搬業自営
昭和四七年五月 府中市日新町(有)松村組入社現在に至る
との記載があった。(右事実は当事者間に争いがない。)
(4) 被告は原告に対する面接試験の際に、同人提出の履歴書にもとづき同人の前歴を確認し、同人から相違ない旨の回答を得た。
(5) 被告としては通常従業員を採用するにあたっては、その提出させた履歴書自体の調査に加えて、被告独自にもその履歴書をもとに従前の勤務先に電話照会を行っているが、原告の採用の際は、その職歴については、直前の勤務先については退職証明があり、自営及び倒産した勤務先については調べようがないので結果的に原告本人の申告をそのまま信用した。
(6) 被告は原告との間で昭和四九年四月二五日に雇用契約を締結し、同人を国立営業所にバス運転手として配属し現在に至っている。
(7) 昭和五五年、被告が国立営業所の従業員であった訴外伊藤八蔵(以下「伊藤」という。)を同年一〇月一〇日付で懲戒解雇(バス運賃着服を理由とする)する事件が発生し、右伊藤が当該処分を不服としてなした雇用関係存在確認等請求の訴が東京地方裁判所八王子支部に係属するに至ったが(同事件は、昭和五六年一月から同五八年三月まで係属した。)、右裁判に関し、原告が伊藤を終始支援した。(右支援の事実は当事者間に争いがない。)
(8) 被告の当時総務部長であった訴外滝啓二(以下「滝総務部長」という。)は、原告が、伊藤が被告と在職中はさほど親交がなかったにもかかわらず右伊藤の裁判手続の間、毎期日にわたって伊藤及びその訴訟代理人に同道し、右裁判の傍聴には被告従業員以外の多数の者を動員し、同滝が証人として証言した内容については後日国立営業所長に対して、「滝のやつは返事に困っておたおたしていた、(前にした)証言を変えるので証言になっていない。」旨の発言をなし、右事件の和解が成立する以前から、被告会社内において、「どうせ会社はこの裁判に負けちゃうよ、どうせ最終的には和解になるんだから会社は負けだよ。」などと言ってふれ回る行動をしていた等の事情から、人事管理上、原告に何らかの背後関係が存在するかどうか解明する必要性があると判断し、その糸口として原告の職歴を調査するに至った。
(9) 右調査は、滝総務部長の証人尋問が終った昭和五六年一一月から同五八年六月ころまで続き、同人が単独で(原告のプライバシーに関することでもあるので、調査は他の従業員に極秘で進められた。)、見当をつけた運送会社、バス会社に電話照会を行う形で進められたが、その結果、原告には履歴書には記載されていなかった次の職歴(いずれも解雇事由の存在自体を除き、その余の事実は当事者間に争いがない。)のあることが判明した。
<1> 原告は、昭和三九年八月一日付で東急電鉄に乗合バス運転手として入社したが、同人の乗車券不正使用、職場放棄、私金携帯禁止違反を理由に、就業規則の解雇基準「会社業務の円滑なる遂行に対する非協力」に該当し会社の従業員に対する雇用上の信頼関係を失わせるもので、会社としてはこれ以上雇用を継続しがたいとして同四二年三月一六日付で解雇されたが、これを不服として同年三月二二日東京地方裁判所に対して東急電鉄を相手取り、従業員の身分保全、賃金支払仮処分命令申請事件(昭和四二年(ヨ)第二二四一号)を提起し、昭和四四年四月三〇日裁判上の和解が成立した。
<2> 原告は、昭和四四年三月二四日から同年四月二三日まで関東バスに在籍した。
<3> 原告は、昭和四四年三月三一日付で東日本観光バスに観光バス運転士として入社したが、飲酒のうえ、勤務中の労働組合観光支部長に対していいがかりをつけて暴行をはたらいたこと、会社貸与のバス用ピラミッドゴムマット二台分を自宅に持ちかえり私物化したこと、自家用車を飲酒運転をしたことの事実及び従来の勤務状況の不良さを理由として、同四六年五月二九日付で会社から解雇され、これを不服として、同年六月一六日、会社を相手取り、東京地方裁判所に対して従業員の身分保全、賃金支払仮処分申請(昭和四六年(ヨ)第二三〇三号)を提起したが、昭和四八年九月一〇日、解雇相当を理由とする申請却下の判決を受け、控訴したが、裁判外で和解が成立したため、控訴を取り下げた。
(10) 滝総務部長は、右調査にもとづき、昭和五八年七月二七日、原告に対し事情聴取を行った。原告はこれに対し、昔のことを急にいわれても判らないといいながらも、東急電鉄、東日本観光バス、関東バスに在籍していたこと、前二社からは解雇され裁判で争ったことは認め、その経歴を履歴書に記載しなかった理由については、「当該各会社との約束があった、書きたくなかった。」等述べ、かつ、「経歴詐称があっても会社には支障がないではないか、昔のことを掘り出しても会社に利益があるわけないだろう。」等の発言をした。
(11) 被告就業規則第五三条には、「従業員は次号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。4号 重要な経歴資格を詐ったとき」と規定され、同五一条には「懲戒は賞罰委員会の議を経て行う。従業員には賞罰委員会に於いて弁明の機会が与えられる。」と規定(規定については当事者間に争いがない。)されているところから、滝総務部長は、原告の前記経歴詐称が、右懲戒事由に相当するとして、この案件を賞罰審査委員会の審議に付した。(規則上は「賞罰委員会」であるが、別途定められた右委員会に関する規則では「賞罰審査委員会」と名称が定められている。)
(12) 賞罰審査委員会は、昭和五八年八月九日第一回審議が開始された以降、同六一年八月七日第七回まで継続し、その間、第二回、第三回の審議の際には原告を出頭させて(右出頭事実は当事者間に争いがない。)、東急電鉄、東日本観光バス、関東バスに在籍事実、及び解雇の事実等に対する認否及び弁明の機会を与えた。原告は、その際、東急電鉄、東日本観光バス、関東バスに在籍した事実、前二社から解雇された事実は認めたが、解雇理由については、会社が自分のことを面白くないので勝手な理由を付けて解雇したものであって真実ではない旨述べ、右各社に在籍の事実を履歴書に記載しなかった理由については、「高年令での入社なので、短期間在籍の会社は省いて概略のみ書いた、深い考えはない、解雇されたこともあるのであまり良いことではないから書かなかった。」旨述べ、加えて、「会社が懲戒解雇したいというなら仕方がない、処分するなら早くして欲しい、昔のことで処罰されるのは心外である。」旨の発言をした。
(13) 賞罰審査委員会は、会社側委員が原告懲戒解雇の主張をし、組合側委員が不処分の主張をして平行線をたどったが、昭和六一年八月七日、最終的に、両者が妥協して譴責処分に付することで合意が成立した。被告は、右処分の通知の趣旨で、原告に対し、同年八月二七日、国立営業所長を通じて、譴責処分に関する始末書への署名を求めたが、原告は、右始末書には譴責処分の理由が記載されていないから署名はできないとして、これを拒否した。
2 そもそも、使用者が労働者を雇用する際に、職歴等の経歴を申告させる理由は、その経歴等に基づいてその労働者の従業員としての適格性の有無を判断し、採用後の賃金、職種等の労働条件及び人事管理についての正当な評価決定をするための資料を得ることにある。そして、日本ではいわゆる終身雇用制が一般化しているのが現状であり、雇用契約関係は労使双方の相互信頼を基調とする継続的な関係であることからすれば、労働者は、雇用されるに際し、その経歴等の申告を求められたときには、使用者にこれらの認識を誤らせないよう真実のそれを申告する信義則上の義務があるというべきである。したがって、労働者が経歴等を詐称して雇用された場合には、右信義則上の義務に違背しているのみならず、使用者の欺罔された状況のもとにおいて、本来従業員たりえないのに従業員たる地位を取得し、あるいは少なくとも、企業内の適正な労務配置を乱していることから、就業規則において経歴詐称を懲戒事由として規定することは、それなりの合理的な理由と必要性があるというべきである。
3 かかる立場にもとづいて、被告就業規則第五三条四号にいう「重要な経歴資格を詐ったとき」とはいかなる場合かを検討すると、それは、経歴のうち、労働者が真実の経歴を申告したならば、社会通念上、使用者において雇用契約を直ちには締結しなかったか、又は同一条件では雇用契約を締結しなかったであろうという因果関係の存在が認められる場合をいうものと解釈するのが相当である。
原告は、重要な経歴詐称とは、単に経歴を詐称したのみでは足りず、その結果、労働能力の評価等に過誤があったなどの具体的結果の発生が必要である旨の主張をする。しかし、前述のとおり、経歴を詐称して雇用された場合には、既にその時点において企業内の職場秩序を侵害しているものと認められるのであり、加えて、詐称の内容が重要であれば、それは労働者の不信義的性格の極めて大きな徴憑というべきであり、懲戒解雇事由としての客観的合理性は具備されていると解されるのであるから、原告の主張は採用できない。
そこで、原告の経歴詐称行為が前記就業規則の条項に該当するかどうか検討する。
被告が旅客自動車運送という公共的要素の強い事業を営んでおり、多数の従業員を雇用する企業であることからすれば、人事管理上、就業規則を遵守しない傾向を有する者、職場秩序を害するおそれの有る者を採用することに消極的になることは当然予想されるところであるが、特に、従前の就職先から懲戒事由に該当することを理由に解雇されたような者については、特段の事情のない限り、採用を差し控えるのが通常であると考えられる。
前記認定のとおり、被告は、従業員を採用するにあたっては、通常、その履歴書を提出させ、それにもとづいて、面接試験の際に質問を行い、電話で当該人物の人事管理上問題の点等を従前の職場に照会していたのであるから、もし、原告が、被告の行った採用試験の際に、真実在職したことのある東急電鉄、関東バス、東日本観光バスについて履歴書に記載していたのであれば、被告は、面接試験に際しては、当然原告に対して、これらの会社を退職した理由につき質問を行い、その時点で原告が、東急電鉄と東日本観光バスの二社からは解雇され、それについて原告が裁判で争い、最終的にはいずれも和解が成立した事実を把握しえたであろうと推測でき、かつ電話照会をすることによって両会社から、解雇の理由、裁判の提起から終結に至る経緯等の事実を認識できたであろうと考えられる。そうだとすれば、被告としては、直ちには原告を採用することはなかったであろうと考えるのが相当である。
してみれば、原告の経歴詐称は、懲戒解雇事由に該当する「重要な経歴資格を詐った」ものということができる。
4 原告の就業規則違反の主張について
(証拠略)によれば、被告の就業規則第五〇条には「従業員はこの規則によるのでなければ懲戒を受けることはない。」との規定が認められるが、他方同第五一条には「懲戒は次に掲げる譴責、減給、格下げ、昇給停止及び懲戒解雇の六種とし、その一又は二以上を併科する。但し反則軽微なるか又は改悛の情顕著なるときは、訓戒に止めることがある。」との規定、同第五二条には「次の各号の一に該当するときは減給とする。但し情状により譴責又は昇給停止に止めることがある。(略)13その他前各号に準ずる行為のあったとき。」との規定の存在が認められ、被告就業規則第五三条には「従業員は次の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状によって出勤停止又は減給もしくは格下げに止めることがある。」旨の規定があることは当事者間に争いがないので、被告就業規則は、賞罰委員会に対して、懲戒事由に該当する従業員に対して裁量による情状酌量の余地を大幅に認めており、懲戒解雇に該当する従業員についても情状によっては、減給処分をさらに減軽した譴責処分を付することも容認していると考えられる。
してみれば、賞罰審査委員会が、本件経歴詐称につき、その裁量により、前記規則第五三条による情状酌量した軽い懲戒処分よりもさらに軽い譴責処分を決定し、それにもとづき、被告が原告を右処分に付したことは、なんら違法ではなく、原告の主張は採用できない。
5 原告の手続違反の主張について
本件懲戒処分の事由は、原告が被告に雇用される際に履歴書等に東急電鉄、東日本観光バス、及び関東バス在職の事実を記載せず、これを秘匿したことであるところ、前記認定のとおり、賞罰審査委員会は、原告に対し、かかる事実を明示して、それについて認否及び弁解の機会を与えており、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、原告の主張には、理由がない。
6 懲戒権の濫用の主張(一)について
前記認定のとおり、訴外伊藤八蔵に対する原告の裁判支援は、原告の経歴を被告が調査する端緒にはなっている。原告が右裁判に関し、「この事件はどうせ和解で終わる。」等のいかにも労働裁判に慣れたようなことを職場内で発言していることからすれば、人事管理の責任者である滝総務部長が原告の何らかの背後関係を疑って調査を開始したことは容易に首肯できることであり、かつ、本件経歴詐称の重大性からすれば、原告の右裁判支援がたとえ被告に好感を与えない事実であったとしても、そのことのみをもって報復のために懲戒処分に付したと認めることはできない。
他に原告の主張を裏付けるに足りる証拠はない。したがって、かかる原告の主張も採用できない。
7 懲戒権の濫用の主張(二)について
原告が、被告に入社以来一二年間、無事故運転を継続してきたとして、毎年被告から表彰された事実、原告が被告入社以来一度も、バス乗務中に、道路交通法違反で刑事及び行政処分を受けたことがない事実については当事者間に争いがない。しかしながら、前述のとおり、本件経歴詐称、ひいては原告の被告に対する信義則違反は軽微でなく、被告の企業内の職場秩序が乱されたといえることからすれば、原告に前記の事実があったとしても、被告が原告に対し、情状酌量した限度での軽い懲戒処分を課したことになんら違法はないと考える。
なお、原告は、その経歴を詐称した理由につき、関係各会社と裁判上ないしは裁判外の和解が成立した際に、対外的に公表しないよう約束したからである旨主張し、原告本人尋問においても、右主張に沿う供述をしている。しかし、関係各社が、原告が在職していた事実を公表されても不利益となるような事態は予想できず、原告もそれにつき合理的な説明はできないことからすれば、原告本人の右供述はにわかに措信することができず、ほかに右主張を肯認するに足る証拠はないから、原告の主張は採用できない。したがって、原告の右主張の事実を、懲戒処分の審議にあたって考慮する必要はない。
原告は更に一二年以上も前になされた経歴詐称を理由とする本件譴責処分は違法、無効であると主張するが、被告側において経歴詐称の事実を確実に把握したのが昭和五八年六月ころであったことは前記二1(9)のとおりであり、被告が経歴詐称を容認していたものではないから、単に経歴詐称のなされた時点が一二年以上前であるからということだけでは、本件譴責処分が違法、無効となるものではない。
8 以上の次第であるから、原告の主張はいずれも理由がなく、本件譴責処分は有効であり、なんら違法性は存しないというべきである。
9 なお、被告の賞罰審査委員会の審査手続に約三年の歳月を要したことについて、これを違法とすべき事実を認むべき証拠はない。
三 よって、本件譴責処分の無効確認請求は理由がなく、また右処分の違法無効を前提とする損害賠償請求はその余の点について判断するまでもなく、理由がなく失当であるので、本件各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 片岡安夫 裁判官 太田幸夫 裁判官 遠藤真澄)